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福田首相:映画「靖国」上映中止、「誠に遺憾」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080403k0000m010136000c.html
2008-04-03 01:08:34
> 「もし、嫌がらせなどが原因で上映が中止になるというのであれば、誠に遺憾なことだ」と記者団に述べた。
よく言ってくれたと言いたいところだが、彼が言うとなんか口だけっぽい気がしないでも…:関連◆
・福田はホント頼りない。餃子でも上映中止でもチベットでも何でも言うべき時はガツンと言え!リーダーシップ無いよ。・政治家に「誠に遺憾」禁止令を出したい。もちろん言葉の外見上の問題なことは分かるんだが考えてしゃべってない感が強い。・この映画って反日映画だよ・反日映画だからだ。「政治の圧力で批判的な映画の上映が中止になった」なんてのは自由主義国家にとってとんでもない恥。・#3 たとえ反日だとしても上映できる日本国であってほしい。それに上映されなきゃ自分で確認して批判(もしも必要なら)もできないよね。まぁいざとなればネットで見られるようになるかと期待。・パールハーバー上映できたんだから大概のものは大丈夫だと思うんだけど、どんな内容なんだろう。・日本は中国と違って自由なんだよ、首相も上映されない事に遺憾の意を表明してるし国からの助成金も出てる、・・・が上映するかしないかも映画館の自由なんだよ。それだけ自由って事わかる?中鮮・助成金が出てるんだし、一般客を入れる公開方法にこだわる必要ないんじゃね?日教組やPTAの大会で上映して組織から上映費取るとか、なんならWEBで公開するとか手はいくつかあるだろ・#7 つくづく自由って言葉は難しいねぇ、、、ナントカと自由は使いようってか。・街宣車乗ってる人たちは迷惑かけてるってことだな…。動きたい時に動けない。結局はあれもデコイなんだと思い知らされた一件だった・#7 既に上映を決めていた映画館が脅迫によってやむなく上映中止にするのは自由とは違う。・「上映しない」という映画館の自由が「嫌がらせ」のみを原因とする(嫌がらせがなければ上映するつもりだった)なら、その「嫌がらせ」を排除するのが権力の役目。「痴漢に遭いたくないから電車に乗らない自由を行使する」なんてのは自由ではない。・「嫌がらせ」ぐらいで動いて(ちゃんと守って)くれれば苦労は無いだろうなぁ。どんな被害を受けても「誠に遺憾」で済まされそう。・反日映画を撮って日本政府に保護を要求する。南京の真実なんか制作段階で中国は非難しまくっているのにね。言論の自由も結構だが、この馬鹿げた事態はどうでもいいんだろうかねぇ。・実際に上映中止になってるんだから、嫌がらせではなく立派な威力業務妨害。・#15 じゃ、訴えれば?・観てもいない映画の内容を「反日映画」と断定できるとは、超能力者か未来から来た御方ですか?・そういや「ウルトラセブン」12話が欠番になったのも、本編観てもいない人達が騒ぎ立てたのが原因だったな。どうやら、#3とは#14は超能力者ではなく、当時円谷に抗議したプロ市民連中と同類の人間なのだろう。・>#17 試写会はあったんだから、観ても無いと断言できるあなたも超能力者か未来から来た御方・では試写会を見たのか答えてもらいましょうや。・スペクトラル星人だとー・俺もみたいと思わないし、観客の動員が期待できなかったんでしょ・#20 のツッコミで急に静かになりましたな。・#22 客が入らないと期待できない映画なら、普通は最初から上映の予定を立てないが。・東京のミニシアターは客が入らん作品でも普通に上映するよ。・休日とかレイトショーで、客オレ1人だけだったことが何度かある。・そういうところが上映中止に追い込まれてるなら事態は深刻だね。・まあ近い将来は、”準児童ポルノ”とレッテルを貼れば大抵の娯楽作品は抹殺できるようになるんだがね。・で、このドキュメンタリー映画には中国企業の役員に暴行されたおじいさんの話は出てきますか? 監督さんの考えがわかる記事→http://www.cinra.net/interview/2008/03/26/155840.php・監督は言葉を選んでいるようだけど、靖国を批判的には語ってないね。映画を見たインタビュアーの反応は面白い。この映画を左右を超越したものとして捉えて感銘を受けてる。実に興味深いね。・じゃ、次はコレを http://209.85.175.104/search?q=cache:u2pl_7nBgWAJ:www.yasukuni-movie.com/contents/directors.html+%22%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89%22+%E9%9D%96%E5%9B%BD&hl=ja&ct=clnk&cd=2&gl=jp&lr=lang_ja 読んでみてね。>しかしその「英雄」たちがアジア各国にもたらした苦痛を忘れているのです。…これで単なるドキュメンタリーを撮ったつもりなら呆れるよ。・確かにその言葉は違和感があるね。でも言葉の一節で全部否定することはないと思う。・別に#31だけを元に否定してるわけじゃないが?・この映画を否定してるんだね。まだ上映されてないけど試写会でも行ったのかい?何を元に否定してるのかな。・試写を観に言った人間の感想からこの映画は既存のプロパガンダの延長であると判断したのさ。見る人間によってこの映画は取り方が変わる。今までの続きでしかない。・正直、この映画を巡るネット上のプロパガンダにも飽き飽きしてるよ。自分で見たわけでもないのに他人の感想で否定にまで至るのは馬鹿らしい。この映画に何のバイアスもかかってないとは思わないけど、最終的な評価は自分で見て考えて判断するよ・他人の批評をある程度、当てにするのは馬鹿馬鹿しい行為だとはちっとも思わないけどなぁ。いや、あくまで一般論ですが。・ある程度の参考は俺も馬鹿馬鹿しいとは思わないけど、彼は否定にまで至ってるのでそう記したまで。自分で見る人間によって取り方が変わると認識してるならじゃあ見て判断しろよと。・いや、wgkygは「見る人間によって取り方が変わる」=「プロパガンダ映画に過ぎない」→「んなの見なくて良い」って判断したんじゃないの? ここで彼に対する正しい反論は『「靖国」は普遍的で新しい視点を持っている(可能性のある)映画である』、じゃないとダメでしょ。・プロパガンダだろうが何だろうが、「見なくて良い」かどうかを決めるのは個人の自由。それを決めるスタンスも個人の自由。もちろん他人の批評を元に決めても、その批評を信用しなくても良い。元記事で問題なのは上映自粛によって「自分で見て判断する」というスタンスの人間の『選択の機会』を奪っていること。・#39 別にプロパガンダ映画であることを否定しているわけではない。プロパガンダの定義に「見る人間により受け取りが変わる」も無い。「見て判断しろ」以上の反論はない。映画の内容が全て分かっているなら別だが、見もせず否定するのは一般論ではない。・どんな映画だろうと見る人間によって取り方が変わるだろうに。もちろん他人の批評や感想を元に見たくなったり、見る価値無しと判断するのは当たり前のこと。ただ、見もしないでプロパガンダと決めつけてそれを口に出せば、ツッコミが入るのは必然。『俺は、君のためにこそ死ににいく』を見ないでこきおろした井筒と一緒だ。・>#40 それについてはまったくその通りで。だからwgkygの人は自分でダメだと決めたんだろう。元記事の自粛がそういう意味でおかしいことについても異論は無い。・>#41 ああ、これは売り言葉に買い言葉で喋っちゃった俺が悪いのでwgkygの人には謝っておきたいけど、wgkygが否定してるのは映画の全体像ではなく、単なるドキュメンタリーを取ったつもりの監督の姿勢だわな。・>42 ここでいう「見る人によって~」は「左右のイデオロギーに影響を受ける」程度に読み替えていいんじゃないかしら? あと、見もしないで云々というなら、見もしないで「見て判断しろ」って言うのもおかしいんじゃねえの? ここでは内容については間接的な伝聞で論じるしかないんだから。それを不毛だと言い出すなら、まず自分が見てからの反論をたのむ。・間接的な伝聞で論じ合うのを机上の空論とも言うのでは。実に不毛かと。百聞は一見にしかずでしょ。それから、公開されてない映画であることを前提にしないのも不毛だなあ。・>#46 公開されてないという前提ならそれこそ『百聞は一見にしかず理論』のほうが圧倒的に不毛じゃないの?・公開されてない映画について語るのが不毛だからこそ、見てから判断しようよって言ってるのだが。これ間違ってないよね。それを現時点で見てから判断を頼むってのが不毛なんだよ。出来ないことを言うのは不毛だよね。・bccpp貴方も映画を見てなかったり、wgkygの本意を理解していないのであれば建設的な話は出来ないと思うが?・>#49 順番が前後するが俺はそもそも最初から「必ずしも見て判断しなければならない」という前提には立ってないもの。 wgkygのことを軸にした「一般論」だから問題ないと考えてる。・>#48 いきなり、間違ってると言っておこう。 見えないものを周辺情報から推測するのは決して不毛ではない。世の中には常識で判断できることがまあ、6~8割ある。もちろん、実際に映画を見た人間がその常識の例外を提示できるならそれには意味がある。その意味では百聞は一見にしかずだ。・#51 俺も君を間違っていると断定しよう。もはや映画の話だけに留まらないが、君のは所詮は後から判断できたと言えるような結果論を根拠にしてるだけだ。この映画は公開されていない。推測が結果的に当たっていたとしても、現時点で絶対的な意味をなすものではない。6~8割判断できるって時点で自アン的には「エスパーおめ」だけどね。・#45 内容については論じていない。「見てもない作品について、伝聞だけで内容否定を口にすること」について論じている。ちゃんと区別してくれ。・>#52 えーと、それって科学否定・統計否定・論理否定=オカルト? いや、映画に限定しない話ならそれこそほとんどが常識や周辺情報から判断できると思うんだけど…・#53 とりあえず、その反論は#51あたりを。 いや、俺は「否定」と「否定の否定」はこの論においては等価だと思ってるのよね。あなたはレイヤーの違いがあると捕らえてるのかもしれないけど。その意識が違うから、区別できてないって思われたかもしれんけど、区別はしてるつもりですよ。・#54 勿論、数値等、誰が調べても決して変わらない物を判断基準にするならばこれは科学的であり根拠となりえるが、映画はそうではない。俺は非科学的なことは何も言ってない。科学史なり歴史を紐解けば常識は覆るものであったと認識できるはず。これをオカルトと思えるなら科学を見る範囲が狭い。・>#56 もちろん、常識は覆りますよ。それは覆し方まで#51で書いてますね。しかし、覆るからといって既存科学の範囲で仮定の議論をすることは無意味なんですかね? って事を私はずっと言ってるわけですよ。・#57 そもそも映画の感想は誰もが同じ感想になるとは限らない極めて主観的な物であり、少なくとも既存科学で論じるのは無意味かと思います。・>#58 まあ、そこは過去の傾向とか勘とか経験とかなんでもいいと思います。そういうものから、類推する作業を否定するのはいかがなものかねと俺は言ってるんで。いや、その根拠となる、彼の勘や彼の考える傾向が間違ってるならそこに堂々と反論すればよろしいのではないかと。類推すること自体の否定はそれこそ言論封殺じゃないですか?・#55 #42でも書いた通り、伝聞から推測、類推、予見すること自体は否定しない。俺にだってこの映画についての予断はある。ただ、それを口に出して、たとえばネット上に書き込むことはゴミの垂れ流し、デマに過ぎないと思う。ゆえに「そこまで言いたければ、見てから言え」という立場をとる。・#59 類推の否定など行っていないが。類推の結果、「見て判断しようよ」と述べてるだけ。彼の主張であるプロパガンダである可能性も否定しないと述べてるし。君は人が何をしているのかよく読むなり訊くなりして判断した方がいいよ。君の6~8割より当てになるからマジお勧め。君も映画も見て判断するのがお勧めだよ。・>#60 そう思うなら自らが口を噤むべきだと私は考えるんですけどねぇ。否定にしても否定の否定にしても。・>#61 無限に時間があるならそうしたいところです。しかし、そもそも映画ってその映画に対してニュートラルな前提の場合は『見に行かない』なんですよ。そこの前提を踏まえてます?・#62 未見映画の内容についての否定は伝聞・類推・思い込みによるもので、いくら論じても不毛。しかし、その不毛さを指摘することは、現前する不毛さへの指摘であって、伝聞や憶測に基づくものではない。レイヤーとやらを整理しなおしてくれ。・#62 口を噤むべきの方がよっぽど言論封殺かと…。この理屈ではどんなに馬鹿なことを述べていても否定してはいけなくなる。もう一方の経験や勘には否定的なんですか。自己矛盾されているようですが如何でしょう?というか、今の貴方が否定の否定では。俺が否定していたという認識であったようですし。・>#64 まず、伝聞や類推の不毛性の根拠が不明です。 私は、伝聞もそれなりに価値があると思いますよ。思い込みに至ってはそれを具体的にどこか指摘してもらわないとこまります。・伝聞の価値はだれも否定してないというのに。それを根拠に決めつけるのが問題なのに。見て判断する方が遙かに価値があるとどうして分からないかなあ。・>#65 いいえ。だって、沈黙の論理を自らが実践するのは言論封殺ではありませんが、他人にそれを要求するのは言論封殺と言われても仕方ないですよね?・>#67 だから、『見て判断した人』がここに誰もいない状況なんですよね?・>#65 いや、私、否定を否定してはいけないとは一言もいってませんよ? 否定を否定するなら、根拠を「不確定である」にするのではなく、否定の理論そのものを否定しろと言ってるだけで。・#66 何度も書くが、伝聞の価値自体は何ら否定していないし、それによって映画を見に行く/行かないを判断するのも否定しない、何ら不毛でもない。しかし、伝聞だけを元に、内容に踏み込んでそれを表明する段階で不毛になる。踏み込めるのは内容を見た人間だけだ。だから今、俺は内容について沈黙する。不毛には言論をもってノーと言う。・bccppさんは言葉遊びがしたいのかな?一度ご自身の主張を纏められてみては?ご自身も誤解が多いようですし、こちらも誤解がある点もあるでしょう。・俺も#71に同意。・>#71 私は、内容にまである程度踏み込めると思っていますし、否定の根拠が出てこない限りはそういう見方をするというのを表明するのは不毛ではないと思います。・ちなみに、見直してみたらwgkygさんは別に内容を批判してるのではなく、製作意図を肯定する#30と同レベルで否定してるだけのような……・#74 俺はそういった憶測は「科学的な統計と違って」当たるとは限らないし、制作者に対して失礼だとも思っているのですべきではないと思っています。#30は何かを肯定しているのではなく、監督とインタビュアーの発言を述べて興味深いとしているだけですよ。・よくみたら、#32~#34のあたりですれ違いが起こってるな。・>#76 なんとなく、もはや許容範囲の問題なのであんまり議論しても仕方ない気がするが、一応論理的な指摘だけ。あなたは当たると限らないことを問題にしているけど、そこは単に予測の完全性の問題なの? まあ、製作者への礼儀は情緒の問題だから否定も肯定もしない。・#78 常識的に、観て判断すること以上に論理的なことはないってことだね。#32~の流れはぶっちゃけ俺の「かまかけ」だね。・#79 観て判断する事が良いというのは、今回の話題に限っては基本線において否定しないし、いままでもしていない。 問題はじゃあ、現時点で実際に『観た人』は誰?って話で。・#80 wgkygが提示した中ではインタビュアーのみかな。公式サイトでは著名人のコメントhttp://www.yasukuni-movie.com/contents/comment.htmlが読めるけど。観た人のコメントを否定する意図の発言は一切してないからね。・まあ、つまりここの人は誰も見てないし、「否定」を否定する根拠もねえんじゃねえのって話で、それこそ観てきてから後で語ればいいじゃんと。・ちなみに、一般論レベルで言えば映画を選ぶときは『感性』に基づいて選ぶことは往々にあるし、それを人に開示することは有益だと思うんだけどね。・繰り返すが常識的に、観た人の意見を参考にしようとも、実際に観て判断すること以上に論理的なことはない。選ぶ基準はまた違う話だね。意見に対する意見も有益だと思うがね。何故か科学を出して噛みつく人もいるが。・えーと、とりあえず実際見てみなきゃ判断できないのは少なくとも「論理的」ではないとだけ書いて、こちらからは筆を置く。