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かつてNVIDIAを救った日本人「入交昭一郎」とは?
https://gigazine.net/news/20240521-sega-irimajiri-nvidia-stock/
2024-05-22 12:07:47
>入交氏は大学卒業後に本田技研工業へ入社し、レース用バイクやF1マシンのエンジンを設計。1979年には39歳で本社の取締役になるなど異例のスピードで出世し、1984年にアメリカ合衆国の製造部門を統括するために渡米しました。入交氏は4年後の1988年に帰国し、専務や副社長を歴任しましたが、1992年にストレスおよび健康を理由に突然副社長を辞任してしまいます。1993年4月には本田技研工業を退職し、1993年6月にセガの副社長に就任。1996年にセガのアメリカ事業の会長兼CEOに昇進しました。
>ソニーのプレイステーションが驚異的な人気を獲得するなか、ヒット商品を生み出す必要に迫られたセガはドリームキャストの開発に着手。ドリームキャストのGPUの開発担当として選ばれたのが1993年にジェンスン・フアン氏と2人の友人によって設立されたばかりのNVIDIAでした。
前間さんのホンダの本で入交さんの活躍を読んでいたけれど、全然違う業種でもこんな事をしていたんだなあ
・逆に自分はセガの頃の入交さんしか知らんなあ。あの頃のセガは無駄遣いが多かったという印象はある。まぁその分勢いのあるぶっとんだゲームも多かったが
・あの頃のセガはなんとかって広告プランナー?に無駄にお金払ってたなぁ、という印象しか
・その絡みで秋元康が小銭稼いでなかったかな
・voodooが席捲してた時代にrivaを出したころか。もうs3やtsengの衰退期
・Tseng懐かしいな。ET4000とかか『GPU黒歴史 DOS時代最速のET4000 子孫のET6300の意外な末路』https://ascii.jp/elem/000/000/698/698677/