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1902年1月の八甲田山雪中行軍遭難事故の真実/鮮やかに蘇った120年前の天気図と気象状況
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=2518
2023-06-18 10:08:29
>NOAA(アメリカ海洋大気庁)による再解析データならば何と1836年(江戸時代の天保7年)まで遡ることができます。
>旭川の低温は北海道の内陸部で起きた強い放射冷却によるもので、強風が吹き荒れた青森や八甲田山付近では気象学的には放射冷却は起きず、そこまで低温になりません。当時の軍部は、八甲田山雪中行軍遭難事故の責任の所在を曖昧にするために、『遭難始末』において遭難事故の原因を「未曾有の寒波」のせいにしたのではないかと思われます。
>地上天気図の等圧線の間隔が非常に狭いエリアに対応して、日本海北部から東北北部にかけて風速15m/s以上の強風が吹いており、特に八甲田山付近では20m/s以上になっていることが分かります。これが、全国の他の山岳では大きな遭難が起きず、八甲田山のみで悲劇が起きた理由だと思います。気象観測体制や予報精度が当時とは比べ物にならないぐらい向上した現在なら、間違いなく予報できていたことでしょう。なぜなら、NOAAの再解析データが当時の気象状況を見事に再現できていることが証拠です。
・長文だから読む気がしないけど、日本人の根性論が招いた悲劇ということ?
・#1 逆だ。夕方位から天候が悪くなったからもっと早くの決断も有り得たが、さっさと諦めて引き返そうと夜中に出発したのが悪く、これで迷子になった。「これでは凍死の恐れがあると慌てた将校たちは夜中の2時に作戦会議を開いた結果、雪中行軍の目的は果たしたため帰途に就くとして、2時半に出発することになりました。」
・「神成大尉は怒りの感情のままに『天は我々を見放した』と叫んだのです。これはフィクションではなく、生存者の証言があります。この一言によって隊員は意気消沈して、バタバタと倒れていきました。」と部下の心を折った。
・弘前隊は装備も行程も気合い入れて普通に完走してたから、見込みや装備が甘かったのは事実。
・なかなか面白い分析だった。書いてることを一言で言えば、当時の天気が大寒波ではなく、大雪と強風だったのではという推察。雪山登山は大寒波よりも大雪と強風のほうがきついよなあ
・風速20m/sだと体感温度も20℃下がる事になるからな。