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「ユーミンの奴隷」になっても好きなものを信じる――時代とともに、松任谷由実の歩んだ50年
https://news.yahoo.co.jp/articles/87e404eac7a293bc5ffc3ffbf58eff9d3cbd1b35
2022-10-01 18:40:54
>「『君は絶対売れない。哀愁の哀の字がないから』とか。演歌的な湿り気のことを指していたんじゃないかな。今思えばむしろ哀の塊みたいな音楽だったと思うけど、まだ子どもだったし、売れる、売れないということもピンときていなかったから、ぽかんと聞いていた」
>「『自分の好きなものを信じるしかない』かな。そのためのたくさんの我慢は必要だけど。ずっと苦しむし、ユーミンの奴隷になるけれど」
「私はユーミンの奴隷」って「俺はいいけどYAZAWAがなんて言うかな」みたいなもん?
・松任谷正隆がテレビで「車3台所有できるならカミさんの奴隷になってもいいと思った」
・哀の字、演歌的な湿り気って中島みゆきの歌だな。
・>イギリスのプロコル・ハルムの『青い影』という曲を知ったりした頃でした。『私にも作れるかも』と思い< プロコル・ハルム『青い影』、ユーミン『翳りゆく部屋』、チューリップ『青春の影』は俺の青春時代に衝撃を受けた三部作だったな
・ムーミンに空目してスナフキンが・・・いやなんでもない
・バックバンドがキャラメルママで、名前が出てた吉田美奈子以外に山下達郎とか大貫妙子とかもバックコーラスにいたんだもんな。
・当時高校生だから仕方無いにしても、あさま山荘を好意的に評価したまま今まで生きてきたのか。香港や台湾の人に失礼やん。
・#4 スナフキンの兄弟のスナゾーキンとスナタオルが…というネタをなぜか思い出した
・「今思えばむしろ哀の塊みたいな音楽だったと思う」思い浮かばないが、どんなのだ?#0 売る為に我慢してきたとの意味かね。17歳で作曲家としてザ・タイガースの人に提供して21歳で第一次ブームになり、22歳で結婚しているし、苦労人には見えないが。