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内田樹『60-70年代の学生運動の高揚の理由を「実家が太い」と解した人がいたみたいですけど』
https://twitter.com/levinassien/status/1569333903030353921
2022-09-13 17:25:25
>これはいかにも「現代風」な解釈だなと感服しました。若い人には想像がつかないと思いますが、あの時代の日本はすごくリッチだったんです。学生運動の財政的基盤は「学生が金を持っていた」ことです。
しれっと歴史改変。若い人は両親や祖父母に聞いてみよう
・否定一色 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/levinassien/status/1569333903030353921
・樹は古武道やってるからな
・かつての上司は70年安保組だけど、学生運動やっていた理由は「ノンポリはモテないから」と言っていた。
・https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1193793831 学生運動などと云ってもあれは一種の流行で、ヘルメットにゲバ棒はファッションです。「学生運動をやっているとカッコイイから女にもてる」と本気で言っている奴もいました。ベトナム戦争反対で世界中が激しく動いていた時代でしたから、学生運動もその時流に乗った流行だったのです。
・三丁目の夕日で巨人の星であしたのジョーでタイガーマスクな頃の日本がリッチ?
・コイツの指摘は面白くはある。そもそもこの時代、大学に行けるだけで裕福な時代。上流家庭の学生様はバイトの報酬も良かったのだろう。今みたいに学生が皆、安い長時間バイトしているような時代では学生運動も出来なかったはずだ。ただその本質は「実家が太い」事にあるのであって「学生が金を持っていた」というのはむしろ浅い理解ではないか。
・元学生闘士である内田樹の実家は太かったんだろう。
・面白いインタビュー記事をアップしてる人がいた>2011年、東大の学生団体が内田樹氏に当時の大学生活についてインタビューした記事を見つけた。「とにかくみんな貧乏だったから。お金が無い中でどうやって工夫して楽しく暮らすかと」「共同生活というのは本当に「お金がない」に尽きる。前提条件として」https://twitter.com/kaorurmpom/status/1569528418911531009
・都会の金持ちが道楽で学生運動してる横で田舎から親の期待を背負って出てきた貧乏学生が授業をしてほしいと要望する地獄絵図だったらしいね。
・#8 これは……。すなおに「実家太くねえよ、みんな貧乏だったよ」って言えばよかったのに、どこをどう間違うと「日本はすごくリッチだった」になるんだ。嘘つきなのかボケ老人なのか、その両方なのか。
・#8#10 ファッション貧乏。碌に働かずとも生きて行ける事をリッチと呼ばずして何と呼ぶ。同じ時代を生きてないから何ともだが、経験や伝聞を考察すれば本来は#6や#9。自由になる金がなかっただけで現代人が時間を換金しないと生きて行けないのに対し、当時大学生の本やエッセイは働かずに如何に過ごすかに費やす事を貧乏って呼んでる例が多い
・学生運動言う位なんだから学生なのだろ。学生の身分である事自体金持ちだ。当時の大学なんか貧乏人には行けない。「男子では1960年時点で13.7%だった女子では1960年時点で2.5%だった進学率」学生生活が楽だったかと言う話とは別だ。
・1970年代は好景気でインフレが進んでいたけれど、物価は外食一回100円前後相場に対しサラリーマン年収は140万位で税は今より低い。物価上昇より収入上昇の方が上だった時代、運動に参加しててもちょっと働けば当座の生活費が賄える位の収入と物価安。今考えればリッチだわな。
・そんなリッチな学生様がちょろっと学費上がるだけで暴動起こすんかよ。 どんだけヒャッハーなんだ。
・学費が上がったから学生運動が広まったんじゃないけどな。どんだけヒャッハーなんだ。
・60年70年代くらいまでは田舎の一次産業じゃ好景気なんて恩恵がなくて、学費も生活費も出すから進学させてやってくれって先生が頼み込んでも農家の子息は働き手になる為に高校大学なんて夢のまた夢だった。頭の茹った学生運動参加者の話を聞くと、#9の描く地獄絵図は大きな損害だったんだと嘆かされる。
・人間は自分の環境が標準だと思う伏があるからな。 当時大学に行って学生運動が出来る層はある程度選別された状態になるから、その環境しか知らない人にとっては家が太い事は「普通」の事だと判断していてもおかしくはない