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大いなる進化を遂げて帰ってきた『タイニーゼビウスmkII』
https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/column/retrosoft/1375407.html
2022-01-12 11:00:52
>プログラマである松島氏にとって『タイニーゼビウス』は「けっして満足いくものではなかったのです(オールアバウトナムコより)」とのことで制作を続け、
>翌年1984年11月20日に発売されたのが今回取り上げた『タイニーゼビウスmkII』でした。
ゼビウスを再現するのが技術力の証明だった時代。
・前作のタイニーゼビウスはディスアセンブルして解析してマップエディタを作ったりした。空中物はデータが分離されてなくて大変な苦労をして作ったんだってことが判った。あと正式にサポートされてない128x96モードで作ったらしいけど多分PC-6001mk2でそのモードが動かない可能性があると思ったらしく3KB仮想VRAMから実際のVRAMに転送する際に縦2倍に引き延ばしてたな
・その頃ベーマガか何処かで1画面強ぐらいで簡易なゼビウスを再現してるプログラムがあった記憶がある
・8bitマシーンのゲーム作成テクニックってハードの特徴を骨の髄まで使ってるから今読んでも面白い。
・そもそも使える色が全体で限られてるから地形と敵で被るわけで、認識しやすい弾の色は難しいよな。
・JR-200の荒いグラフィックを駆使したゼビウスもグッと来るhttps://www.youtube.com/watch?v=kQkGOb98NJw
・PC-6001mkII と同年に発売された2万円もしないFCの方が遥かに画面が綺麗。PS5もだけど、やはりコンシューマーは性能が良くて安い
・そじゃない そういうことじゃねェんだ兄ちゃん の画像が思い浮かんだ。 当たり前ながらゲーム以外ではズタボロな性能だけどねFC。
・#7 MSXユーザーだったから多少はマシだったけど、熱望していたグラフィックに強いマイコンが発売される事が最後まで無かったオッサンの嘆きという事で、生暖かい目で見てくれ。互換性が足を引っ張ったんだろうなあ
・タイニーといえばMZ-700
・#8 なるほど。PCにおいて画像まわりは金かかるからねえ。だいたいX68kになっちゃう。
・#8 8bit後期の機種はどれもFCを軽く凌駕するグラフィックだったと思うけど、スプライト実装が無かったって意味?
・#11 画質と実行速度は反比例するからゲームの画面として使えないのが問題なんじゃないかな。つまりグラフィックが強いってのには速度や多色スプライトも含むと。あとマイコンだから安い…というかキーボード一体型のアレかと。私はそう解釈した。
・#11 まあそんな感じ。音源だけは無駄にスペックよかったけどw その後は40万円を超えるようなX68kの時代になってしまって、マイコン少年が市販ソフト並みの自作ゲームを作るというIFの時代は無くなってしまった
・pc8001ぐらいの時代ってベーシックで1時間もかからずに作ったようなゲームがカセットテープで3800円ぐらいでバカスカ売れてたようだな。
・#14 たとえばどのゲーム?
・MSX2まで行けばそれなりの画像にはなったし、格安だと3万まで落ちたので満足できる水準まで行けたと思うけどね。当時はコナミが頑張ってくれたし
・#15 1時間は言い過ぎだけど、たとえばハドソンのスペースドッジャーとか
・#17 https://www.youtube.com/watch?v=AtPctCguKR4これか。当時開発環境なんて無いしVRAM番地直打ちだっただろうから簡単には作れてねぇだろ。
・#17 返答thx。BASICだったらキャラ単位の移動になるだろうし、大量のキャラクタをこんなにスムーズな移動はできないんじゃね。移動座標は演算だから良いとしても、キャラジェネ持ってないP8はキャラ形状の表示含めてVRAM直操作の嵐だろうね。BASIC経由でもマシン語コードに手アセンブルしたデータをRAMに展開して実行してるんじゃないかと思う。
・#18 #19 すみません。実は適当に検索しただけで…。確かハドソンだったと思うけど、創業の頃マンションの一室で数日?で開発した8bitのマイコン向けのゲームどれもこれも、ライバル不在で注文が殺到して、カセットテープの発送の傍ら現金を段ボールに投げ込んでたって言う話。書籍かブログだか忘れたけど知ってる人いないかな
・まあそんな感じで、コミケの壁サークルみたくあの頃ゲームで稼ぐのはチョロかったという回想をどこかで読んで記憶に残ってる。めっちゃ脱線したけど。
・この前出てきたhttps://gnews.jp/20220107_131716辺りの人が昔のハドソン語ってなかったっけ?http://www.highriskrevolution.com/wp/gamelife/category/hudson/
・#22 8ビットPCのタグhttp://www.highriskrevolution.com/wp/gamelife/tag/8%e3%83%93%e3%83%83%e3%83%88pc/読んでみたけどおそらく違うなあ。この人がハドソンに入るよりもっと前の出来事なはず。
・まあ#8で言いたかったのはPCエンジンやメガドライブ並みのスプライトやスクロール性能で中高生でも手に入るホビーPCが発売されて欲しかったよって事だ。どれだけ面白い同人ゲームが出たんだろうと。MSX2じゃ源平討魔伝やソニックは作れない。全てV9990を不採用にした西が悪い
・#22 Hu-BASICかなhttps://ja.wikipedia.org/wiki/Hu-BASIC
・#5 JR-200版すげぇな。MZ-700に匹敵するな。#24 ほー。V9990スペックは8bitPC用として、ほぼ理想だな。なんでこれがボツったんだ
・X68kのOSも今は無きハドソン絡んでたね。PCエンジンのハードの設計も
・#5 ここまでくると DOOM移植と同じ魂を感じる
・#22 高橋名人が語るファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1604/14/news015.html 岩崎さんはPCエンジン付近の最盛期の人だから、もう少し創業期の人の話の方だったか
・#17ー#20 1980前ぐらいのマイコン雑誌にテープに収録されたゲームが売り出されてたけど、キャラクタ(◯や□のフォント)を組み合わせたようなキャラが真っ暗な画面に登場して動かしてたレベルのものを売ってた。見本の写真のみで動いてるのはみた事ないけど、locateで作れるなと思った事はある。
・アクションゲーはスプライト使わないとBASICだと速度が足りない機種もありそう。逆に速度が要らないゲームなら何とでもなる。たしかFM77のファイナルロリータとかMSX2のダブルビジョンはBASICで書いてあったはず。#26 MSXにおいてはV9978かV9998というナンバリング。これがボツってV9990になっているので、V9958互換がYAMAHA的にワリにあわなかったのではないかと。
・#30 当時の環境だと時間はもう少しかかっただろうが、#14がそういうのを指すのならわかる。 80年代前半には電波新聞社のアーケード移植物が出始めてたり、ベーマガのMZ-80用投稿作を見て「昔のマイコンだからこういう画面なんだな」という感覚になってたから、もう少し前の時代なんだろうと思った
・14だけどハドソンのWikipediaに書いてたわ。この本読んだ記憶ある>「月刊マイコン」(電波新聞社)昭和54年7月号にオリジナルソフトウェアの通信販売広告を掲載すると一転、郵便局員が毎日のように現金書留の詰まった白い袋を担いで来る状況になり、莫大な利益を得ることになった。当時のハドソン社内では郵便局員を「サンタクロース」と呼んでいた【新・電子立国】