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「富岳」の原点ファミコンにあり 40年前、名作「ピンボール」を開発 理研センター長
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202108/0014601247.shtml
2021-08-19 00:52:50
>プログラマーとしての転機は、高校に進学し、通学電車の乗り換えで東京・池袋の百貨店にあったパソコンコーナーに通い始めたこと。そこに集う同世代の面々には、後に任天堂の社長になり55歳で早世した岩田聡さんもいた。そのメンバー中心にソフトウエア開発会社が生まれ、松岡さんもアルバイトとして働いた。1983年、ファミコンが発売された。
>その技術があった松岡さんと岩田さんはピンボールの開発依頼を受けた。ピンボールは84年に発売され、100万本以上売れた。当時東大生だった松岡さんは、ゲームプログラマーとして「ハードウエアの能力を生かし切るようなソフトウエアを作ること」を学んだ。
いわゆるマイコン少年あがりってやつか
・「富岳の原点はお母さんの手料理にあり」とか何でもいいんじゃね
・ハル研の一員だったって事?
・松岡聡さんか。東工大でTSUBAMEとかやってた人だね。#2ご明察みたいね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E8%81%A1_(%E8%A8%88%E7%AE%97%E6%A9%9F%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85) > 高校3年から修士課程までの間、創業期のハル研究所に関わり、後に任天堂代表取締役となる岩田聡と共同でファミリーコンピュータ専用ソフト『ピンボール』の開発等に携わる。 <
・こういう裏の評価があったから進んだんだろうな。2000年頃はスパコンとPCの差が縮んで、なんでやるのって感じだった。富士通を食わせるためかねえとか
・その頃は、限られた計算資源を有効に使えるアルゴリズムや解析法が最前線だったと記憶。制限することが減った今はとにかくぶんまわせばいいというということで、こういうスケールメリットが効くのは有効になってるんかなと
・#5 修論そんなんやったわ。並列計算から離れて久しいけど、今のトレンドはそんな感じなんだね。情報ありがとう。
・過去の関連別記事https://hatenanews.com/articles/2018/12/21/110000みつけた
・#7サンクス!ちょっと違和感を覚えたのだけど、記憶では82年頃、Z-80って400円くらいだった気が >ゲーム機はCPUにZ80を採用していたのですが、複雑でコストが高い。<
・#7ピンボールはそんなに大変だったんですね。意外。ファミコン以前に、APPLE IIのPinball Construction Setとか、PC-6001でも同様のゲームが出てたけど大変だったんだろうな。>一番難しかったのは衝突判定で、複雑な形状のピンボール台に、どの角度でボールがぶつかっても物理法則に従って剛体運動するのが、今ならスマホでも普通に計算できますけど、当時のハードウェアでは無理<
・#8 6502が破格に安かったということで相対的な話じゃないかな。あと、ファミコンの開発が始まった81年ごろはZ80の国内セカンドソースも少なくてそこまで安くはなかったかと。
・ピンボールゲームの進化は凄まじくて、90年代のMac System7 で、突出したのがあったことを思い出す。村上春樹の小説にもあるように、前の世代では独自な思い入れがあったようだ