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株式会社マイクロキャビン創業者 / 大矢知直登
http://plus-mie.jp/2021/07/29/ooyachi/
2021-08-01 07:33:52
>「マイクロキャビンはそこそこ有名な会社だったんで、日本中から優秀な人材が集まってきました。でもOEMに徹するようになってからは、優秀な人は集まりにくくなっていました。将来的なことを考えると『このままゲームメーカーとしてやっていくのは難しいんじゃないか?』と思うようになりました。それで、パチンコ向け映像ソフト制作の仕事を請けることにしました」。
>マイクロキャビンが制作したパチンコ向け映像ソフトは大ヒットした。マイクロキャビンはゲームメーカーからパチンコ向け映像ソフト制作会社に変わっていった。
アイレムと同じ道を辿ってる。全盛期知ってるだけに悲しいな。社長の豪邸見るかぎり稼ぎはよかったんだろうけど。
・当時そんな風潮は感じなかったが。PSがずっと押し気味だったよな。 > FF7発表までの「次世代ゲーム機戦争」はセガが勝利すると思われた。・#1 まあ消費者と開発者じゃ見る景色が違うだろうし、それこそハードを発表する前から関わってたりするし。当時はサターン有利みたいに見えたんじゃないかな。・Xakよくやったなあ。イースよりサークだったな。はーりぃふぉっくすの頃・#1 バーチャ2が出た時だけだったんじゃないかな。サターンで売れたのってアレぐらいだし。後、初期はソニーはゲーム屋じゃないからダメなんじゃ、とか言われてた気がする。・『当時あったソフトハウスの多くが今は存在していません。有名な会社の社長さんだった人が孤独死したとか、行方不明になったという話』死屍累々な訳ね。・そうか、一般の人にはここから説明が必要なのか > 「その頃のソフトバンクはゲームの流通会社だったんです」・#2,#4 発売前からPSの方が頭一つ抜けてるとは言われてたし、2DのSSと3DのPSみたいに争われていたが、3Dの優位を証明してしまったのは他ならぬセガのVFだったし。FF7で言うなら任天堂かSONYかだろうし。セガが勝利した景色は見えないな。・『スーパーファミコンは開発費以外に宣伝費も1億ぐらい必要でした。早くからスーファミに行った会社は、投資額も多かったけど回収額も凄いんで、地力をつけていました。』ここでの選択ミスがゲーム産業から去る事になった原因か。でも、事業売り払って悠々自適の生活なんだから成功者と言えるな、この人は。・#6 そうなんだー 一般人じゃない君すごいね~・#7 改めてPS発売1年間のタイトル見てみたけど、ろくなものがない感じ。このなかだとリッジレーサーしか購入した記憶がないhttps://ja.wikipedia.org/wiki/PlayStation%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E4%B8%80%E8%A6%A7_(-1995%E5%B9%B4)・#10 本当に酷いな。FF7が出るまで駄目だったのかね?・#11 ナムコが参入してなかったら悲惨だった、みたいなことは当時言われてた気がする。・ミステリーハウスしか覚えてないけど、これ歯科医の持ち込みだったんだ!すげーなw・エースコンバット好きだった。ネジコンが秀逸で捻りながら体傾けてたわ。シナリオがモロ好きなエリア88で一時期ずっとやってた。・3のシナリオが良いという話だけは聞いてて、結局やってないなあ・3はSF好きと実在戦闘機好きで評価が真っ二つに分かれると聞く(俺は好きな方に入る)・自分は幻影都市が大好きだった。多分初めて体験したサイバーパンクのゲームかも。音楽が超絶格好良くて今でも覚えるhttps://youtu.be/DbLrNPJEdXI?t=175。あの頃はファルコムと同列くらいのメーカーだったのになあ・鋼鉄の咆哮シリーズwin版が名前を見た最後かな。結構面白かったのに続編も3で打ち止めというのは惜しいところ。・あ、やっぱ昔自分もインタビューに行ったはず。鋼鉄の咆哮作ってた頃に行って、手の届く範囲で作ってる、みたいな事を聞いた記憶がある・タワーオブキャビン出してたころが最盛期かのう?・これに興味ないが7つもあるのがなんだかな。今の子、というか、今のここの住人はマイクロキャビンと言っても知らない層が多数派なのかね。・たぶんパチンコって文字を見ただけで反射的に押してる