自動ニュース作成G
ゲーム会社の社長なのに10年近くゲーム制作から逃げていたが、海外ファンからの熱いラブコールに押され、齢57にしてUnityもバリバリ使いこなし現場の第一線に復帰した開発者の話
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/210705a
2021-07-05 15:15:46
>西澤龍一氏への取材を通じて改めて感じたのは、1980年代のゲーム業界が持っていた「若さ」だ。ゲームセンターで遊んでいた高校生がスカウトされて、ほとんどひとりでゲームを制作し、それが業界でヒットを記録するといった展開は、さすがに発展途上の産業ならではの出来事だろう。
記事のタイトルが長いのでカットしてます。
・この手の流れで印象に残ってるのはチュンソフトの中村光一
・元タイトル:20歳の若さでヒットを飛ばし独立するも、社長業に追われゲーム作りから離れてしまい、「一緒にゲームを作ろう」と志を共にした親友とも決別。ゲーム会社の社長なのに10年近くゲーム制作から逃げていたが、海外ファンからの熱いラブコールに押され、齢57にしてUnityもバリバリ使いこなし現場の第一線に復帰した開発者の話 こりゃ長い(笑)
・今時なろうラノベでもこんな長くねえだろ。
・阿迦手観屋夢之助じゃなかった
・テクモじゃなくテーカンなのが、もう歴史。
・猫は出てこないの? 『夏への扉』みたいやん。
・Dungeon Explorer(SEGA-CD)ってなんじゃそりゃ、と思ったら、元々PCE用に作ったDungeon Explorerがあって、それの移植をやったのか
・ああ、ワンダーボーイの人か
・時計じかけのアクワリオって知らんなあと思ったら、アーケードでお蔵入りだったのか。で、それが海外でリリースされるhttps://www.strictlylimitedgames.com/clockwork-aquario/と。アチラの人は凄いな。
・#1 このトピックとあんま関係なくてすまないけど、中村光一といえば428 〜封鎖された渋谷で〜 がsteamで800円だったので買ってしまった。Wiiでプレイ済なんだけどね。https://automaton-media.com/articles/columnjp/20210702-167479/
・忍者くんの阿修羅の章は挙げられてないけど関わらなかったんだろうか
・あっちはUPLじゃなかったかな?あそこも良いゲームつくってたんだけどなあ