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巽孝之先生最終講義
https://plaza.rakuten.co.jp/professor306/diary/20210313/
2021-03-14 01:55:06
実際の講義の動画 慶應義塾大学英米文学専攻 巽孝之教授 最終講義「最後の授業——慶應義塾とアメリカ」◇
・参考までに、「2020年度版 大学院生必読書リスト100(巽孝之)」とか http://www.tatsumizemi.com/2020/04/list.html・立派な人だったんだろう。最後の授業についてのブログみたいだど、ちょっと伝わらないな。#0-#1にしても何だか分からない。知識の無い人に向けて説明書いて欲しい。#0の動画がその講義なのか。・観点が理系と全く違う。理系は内容を気にするのであって表現を問題にしない。『本当に美味しいのは、ここに記さなかった「肉」の部分。古今東西の文学作品や映画や歴史や評論を自在に引用しながら、ご自身の論旨に文字通り肉付けし、確固たるものにしていく様は、さながらマジックを見ているかのよう。』文系は内容を気にしないんだろうが要約きちんと書いてよな。・「華麗なマジック」が邪魔に感じるから冗長でかなり苦痛。文系的にはネタバレになるんだろうが、何を話すつもりなのか先に話して欲しい。文系と理系のコミュニケーションの違いがよく分かる。監督の名前やらウンチクやらを削ぎ落とすのが理系の話し方。ネットでもこの手の話し方をするのはマウント取ってるのかと思っていたのだが、文系の流儀だったのか。・文系は他人の言葉を使って話さなきゃいけないきまりでもあるの?その上で知ってる事を全て話さなきゃ気が済まないんじゃないのかなと。大義が民主主義的リベラリズムの価値観に取って代わったが、コロナみたいな状況下ではリベラリズムではなく「大義」の共有が必要だと言う話かね。エンドロールの音程が狂っていて狂気じみている。これも文系的演出?・悪意はない。単に文化が違うだけだろう。文学的に表現するなら、退任にあたり「最後の授業」を最初に読んだ子供の頃の解釈を再評価したと言うことか?違うかね。文系の人に解説して欲しい。・本質的なところ以外で肉付けされても蛇足だと感じるんだが。新卒の入社教育で「5W1H」なんて馬鹿みたいな事教育するのはこういう背景があるのか。延々と冗長に話して一言で反論・論破される馬鹿な構図を対談なんかで見るが、文系の話し方は要約するのが面倒なフォーマットだと感じる。・#7 どうなんだろうね。講演の場合は時間での契約だから决められた時間一杯話し続けなければならない。だから単に引き伸ばしたとも考えられるが、ブログの人はまさにそこを評価している訳で。「色々知ってる俺の話なんだから信じろ!」「引用した人もこんなに立派な」的な説得力に感じる。オッカムの剃刀を旨とする理系にはバカにされて通用しないだろうが。・#8 引き延ばすのも技術だしそこが為になると感じることだってあるけど、例えるなら「誰が言ったか」よりも「それが指す意味はなにか」というところが重要であって、理系がホームレスが言おうがアインシュタインが言おうが物理法則は揺らがないということを重視するなら文系はまさにそれで権威付けしている。そういった意味で文理の隔絶はあるんだろうね。・#9 権威の世界なのかな。博識な権威者だって間違える事はある。受け取った人が自身で評価し直すと言う事は無いの?言い換えれば文系にとっては「誰を信じるか」が全てなの?口喧嘩やマウント取るのが上手いかどうかであって属人的な要素が大きすぎじゃないか?それは学問には見えないんだが、文系的に学問とそれらを区別する事は何なの?肩書だったり?・#10 俺はそう感じるって話であって、理系なので文系の思考法と感じ方は判らない。経験と想像から推測するに、その事例で言うなら2者が居て○○はああ言った、××はこう言った、で、個人の中での演算は「○○が言うことは自分の経験則に当てはまる、××の言うのはそうでも無い。だから○○が上だ」みたいな。・それが事実かどうか検証するよりも前に権威が優位を決めているような印象がある。話をしたときに、事実かどうかを検証してその前提で議論したら、○○は誤りだ、検証されてない、みたいなところに立ち返ったことがあるんで物理法則レベルのことも権威が先なのかと思ったことがある。・そもそもが、アリストテレスと言う「人」に心酔して弟子になる的な話であって、もともと文系は属人的なものなのかも。#11 でもそれをするなら知識自慢は全くの無駄になるだろ。疑義を抱かせない為の方便にしか見えない。理系なのか。文系の人のコメントが欲しい所だな。・#13 文系のコメが欲しいな。自分の都合優先で動く馬鹿営業とかはこれ当てはめると大体の行動原理が説明できるから恐ろしいところ。知識自慢については○○学派の○○という説を暗記している俺、凄い的な。理系にしたら、で?それをどう応用して使う?と言う視点が多いから「辞書暗記されても自慢にならん」と言うところ。・ネット見ていて問題だと思うのは「人」を批判する所。だから罵倒になると考えていた。でも文系が属人的なものであって学説と人とを切り離せないとするならそれは罵倒にならずまともに議論出来るものなのかな。世の中の半分を知らなかった事に今気づいた気分だ。罵倒する事が目的ではないんで文系の人の考えが聞きたい。見解の相違が起きた時にどうやって解消するの?・権威を元に仮定するなら、研究室内での裁定は教授の判断で、学会では基本皆同じ考えの人だけ。こんな感じ?異なった学説間でまともな議論が出来ないなら、文系は学んだ個人を豊かにはするが、分断されていて社会全体への貢献が出来ない。確かに役には立つかもしれないが、これでは「カリスマ」を養っているに過ぎず、宗教同様国が金出すべきでは無い。反論してくれ。・#16 査読不要問題と同じ 自分の視野で思考が完結して傍観者の意見は悪意としか受取れない そんな自称学者は自費で自分のためだけに研究してろ・#17 それは既に言われた批判だよ。ゴミみたいな社会学者は内輪だけで完結する傾向があるから評価に値しない。ここで論じているのは学者以前のバックボーンの話。権威偏重の支持層が本当にあるのかというところのある意味検証。・とりあえず「文学=文系」っていう論点はやめようよ。「文学→文系」ではあるけどさ。・巽孝之の授業、一般教養科目として取ってたわ。なつかしい。「芸術と文明」とかそんな名前だった気がする。巽孝之の仕事に感心したことはないが、毎週、いろんなゲストを呼んで行う形式の授業で、楽しかった。