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大化の改新ゆかりの広場ほぼ断定
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200609/2000030788.html
2020-06-09 22:41:49
>こうした遺構が見つかったのは初めてで、村の教育委員会は「飛鳥寺西方遺跡」を「槻の樹の広場」の跡とほぼ断定しました。
>大化の改新の立て役者、中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所として有名で、奈良県桜井市の談山神社に残されている「多武峯縁起絵巻」には広場で開かれた蹴まりの会で、中大兄皇子の靴が脱げ、それを中臣鎌足が槻の樹の近くで手渡す様子が描かれています。
大化の改新(乙巳の変)が起きた場所ではなくて、中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所なのか。
・このエリアの遺跡は、類似のがないので比定し放題だな。それくらいイレギュラーな地域・日本書紀での記述がえらくドラマティックで生々しいんだよな。あれが不思議だわ・#2 そら後の天皇が起こしたクーデターを正当化する場面だからな。壬申の乱と併せて日本書紀のクライマックスよ。・平成になってから飛鳥で見つかった亀形の水槽のおかげで、大阪・四天王寺の類似構造物が創建当時の物だと分かった話好き・#4 ゾロアスター教の儀式に使ったという松本清張の仮説もなかなか。日本の歴史で唯一といっていいまとまった石の文化で残るんだよね。未だ新しいのが発掘される可能性ある・中大兄皇子と中臣鎌足、靴拾って結ばれるってシンデレラみたいだな