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内田樹氏によるホ・ヨンソン詩集『海女たち』の書評に異議を表明します
http://asanotakao.hatenablog.com/entry/2020/05/10/121620
2020-06-07 18:55:57
>2020年5月2日の西日本新聞に、内田樹氏によるホ・ヨンソン詩集『海女たち』(姜信子・趙倫子訳)の書評が掲載されました。その内容に異議を表明します。以下は出版元にて本書の編集を担当した立場にある、しかしながらあくまで一個人としての見解です。
>そもそも、800字という限られた文章量の半分以上、控えめに計算して全57行中42行を、対象となる本ではなく《自分語り》に費やす文章を《書評》とは呼べない、と私は考えます。
>冒頭から「私は韓国文学についてほとんど何も知らない」「どうしてそんな人間に書評を依頼してきたのか、よく理由がわからない」「訳者の姜信子さんとのご縁だろう」などという裏話や憶測を16行以上、書いているのですが、訳者によるとこうした書評依頼の経緯説明は誤解を招く不正確な記述です。
・たつるの本業以外は駄目シリーズ。
・文庫の解説とかで書く事が無い時に字数稼ぎでよくやる奴だな。 >冒頭から「私は韓国文学についてほとんど何も知らない」「どうしてそんな人間に書評を依頼してきたのか、よく理由がわからない」「訳者の姜信子さんとのご縁だろう」などという裏話や憶測
・なかなか達者な文章だな、興味ないけど最後まで読んでしまった。
・高齢富裕左翼は社会の迷惑なんだよな。他人様にとって見るべきものがないくせに、一番分かってないのが自分だという……
・「韓国文学」に御執心のフェミの皆さんからも何か言われそう
・韓国文学って全部ファンタジーだろ?
・文学は別にファンタジーでも良いよ。歴史がファンタジーなのがヤバいんだ。
・韓国文学はファンタジーじゃなくて史実w
・依頼されたから嫌々升を埋めたんだろ。書評を依頼されたから書評だとは主張するだろうが、当人だって書評なんて思ってないよ。翻訳された外国語、しかも文化も違う韓国の詩の書評なんか日本人の誰が書きたいんだよ。せめて韓国文化を知っていて原文を理解した上でないと書けないだろう。(可能な限り穏当に書きました)
・#9 感情的で元記事への反応としてちぐはぐですね。
・#10 評論家かよ。書評書いたら良いんでないの?それで通るとは思えないが。
・通ればいいなと思って、少し評っぽく書いてみました。 #9のちぐはぐさは、書き出しからして既に始まっている。元記事筆者も内田からの発信でも、アレが書評として低質なものであり、乗り気でないことを明かしているのを「嫌々枡を埋めたんだろ」「当人だって書評なんて思ってないよ」と、筆者に抜け落ちた視点のように挙げるのは無用なのだ。
・続く「日本人の誰が書きたいんだよ」は〈誰も書きたくないだろ〉の反語に読めるが、誰か書きたい人もいるだろうと言うしかない。現に山内光江・岡和田晃から書評は寄せられている。書きたくないのに書いているかも、と言うだろうか。元記事では書きたくない書評依頼へ取るべき対応に「断るべき」と言及している。
・それでも引き受けざるを得ない場合の書評の姿勢にまで言及している。韓国に無知であっても、その無知の立場から省察を深めた姿勢をとるべきだと。内田がその姿勢すらとらないのを元記事は批判している。文化だの原文だの「誰が書きたいんだよ」だのという次元の話題ではないのだ。
・そもそも書評対象は『日本語訳』詩集である。#9が要求するのは詳細な解説であり、書評の絶対条件ではない。内容・特色・印象等を記し、読み手が本を選ぶ標になれば良い。
・この詩集に〈文化と原文を知った上で読んでください〉なんて記述は確認できない。原文が必要ならハングルで出版されるだろう。詩の作者はこれが日本語に訳されて出版されることを承知している。まずは日本人として読んでいいはずだ。 終わり
・#1もう本業はデマッターだろ。町山と同じだよ。
・俺からすると貴方の論評こそ頓珍漢だな。#12 俺のは「その内容に異議を表明します。」なんてこの記事を書いた人に向けたもの。#15『日本語訳』詩集であるんだから訳として妥当なものかが重要だと言う話だよ。#16おそらくそれは本を売る立場からの主張だろう。俺はこの記事の批判にも一理あるとは考えている。
・頼まれた事について形式的には応じたが、内容に問題があるなら採用しなきゃ良いだけだろ。書いた人ではなく宣伝に使った奴の問題だよ。書いた人を非難するのはお門違いに思う。それをするのは頼んだ人だよ。
・たしかにこの期に及んで内田樹や町山智弘に金払う奴がいるのが意味わからない。
・#18 元記事は内田が書評を軽んじているのを百も承知、というより内田が書評を軽んじて嫌々枡埋めしているとことを告発しているのです。それに対し内田は嫌々書いたんだよと指摘するのはちぐはぐ。また、原文意図を汲んだ素晴らしい翻訳だと評するならば原文理解は必要だが、翻訳の正確性に言及しないのであれば検証は書評の義務ではない。
・>おそらくそれは本を売る立場からの主張だろう 日本語訳の本を読む側だってそうだろう。文化言語理解がないと読んではならないと思うくらいなら、外国の本も映画も音楽も料理もこんなに流通していない。
・#19 元記事は「思想家」を名乗りつつ公的な場で不誠実な書評する内田と、著名人の権威に阿ってその書評を採用してしまう言論界の双方を名指しして批判している。書評の批判を評者に向けるべきではないのなら、小説の評価を作家ではなく出版社のみに向けるべきか? 音楽の評価も作曲家ではなく作曲依頼者側へ向けるべきか?