自動ニュース作成G
ワープロはいずれなくなるか?
https://dime.jp/genre/644604/
2019-01-01 19:37:22
昭和63年のインタビュー
・松下…88年といえばMSXが低迷しだして、5年前ってとPCなんて素人が持てるモノではなく、5年後にはMSX雑誌の広告欄が自社MSXでなくワープロに…・個人的にはこの時期にはワープロ専用機は先がないと思ってて、BJ-10vが出たタイミングで確信になった記憶が。キヤノンの担当者は三味線弾いてたのだろうか?・ワープロが無くなったおかげで、それまでマイコンなんて使った事もないような多様な部署にマイコン使える人材が再配置されその後の産業開花に繋がった。・実家と学校に書院(シャープ)があってそれに慣れてたので、後に文豪(NEC)を触った時は操作感の違いにひと苦労したっけな。・昔のワープロって表示画面が2行ぐらいしかなかった記憶があるが、今考えるとよくあんなので作業できてたなと思う。・昭和63年がなんで平成元年なんだよ、てのがまず気になって仕方ない・ワープロ使い続けた人って親指シフト使いたかっただけな気がする。・親指シフトってOASYSだけじゃない?・昭和64年は無かったことになってる別の世界の話し・会社には老人がいっぱいいてさワープロ何に使うのとか言われ、省庁に資料提出したときなどあなたの処だけ手書きですねなんて言われた思い出が、他社はN、F、T・#10何とも不思議な木ですから。・鉛筆とは関係ない某企業かもしれんぞ。・Hもワープロだったよ・P1EXEとかの時代だっけ・いまはATOKがなくなりそうです・・・・ポメラとかワープロじゃね?・msimeよりもatok・この少し後にIBMがDOS/Vを発表。ワープロ専用機が終焉へ向かう。・東芝のコメントが今の凋落っぷりを予見させて面白い。関連会社に勤めてるし笑い事じゃないけど。・この頃、世界はIBM-PC/XP,PC/ATの低価格の互換機(Compaq等)が主流で、ワープロよりも表計算(Lotus)を使うために(税申告目的利用で人気・会社員が申告免れるのは日本くらい)、ソフトの互換製品も出て低価格化が始まっていた。MSXは、XT互換機に日本語をハードで追加した。・東芝の互換機T-3100シリーズ(日本語をハードで追加したのがJ-3100)は海外で売れLaptopersクラブまで出来て好評だった。この翌年、東芝は世界初のノートPCを出し、PC価格、周辺機器価格、ソフト価格に破壊を起こした。この切っ掛けでDOS/Vに流れ、ワープロ機並の価格になった・#20 『MSXは、XT互換機に日本語をハードで追加した』のところがわからない・当時のワープロて今のノーパソより高価かったんだよな…。 まぁパソコンの方は安くてその倍くらいだった訳だが。・#22 JXのことじゃないかね。だったらMSXじゃなくてIBMだが。・そも、MSXはZ80機だしのう。 MSXをなにかと勘違いしているかのう…