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ある音楽家の娘「お父さんが死んだら愛用のヴァイオリンもお墓に入れてあげるね」→価値の分からない者には『お金』で理解させないとダメ?という話
https://togetter.com/li/1106329
2017-05-03 07:35:14
>「いくらくらい稼いでるの?」と聞く人は、こちらにほぼ興味のない人間だとわかるようになった。
・ヴァイオリン型の棺桶に入れてヴァイオリン型の墓石にするのがよろし。
・そりゃそうでしょ。特に女はそう。
・娘さんが持ってた所で意味もないし、娘さんは金を得バイオリンは然るべく所に行くと。資本主義は上手く出来てるな。考えた事も無かったが、共産主義だとバイオリンはどう管理されるの?捨てられるとか?2000円のバイオリンと同じ扱いとか?娘さんから取り上げて国が認めた能力の高い人に貸与されるとか?むしろ規格を外れたものだとして破壊するとか?
・アタマが悪いのはいきなり激怒した父親だろうよ。
・#3 まず個人所有できず、貸与されてるんじゃないかな
・自分も頭が悪いのは父親側だと思うわ。文化方面の価値は普通の人には全く理解できないもので。娘側は愛用の品と一緒に送ろうとしただけに過ぎない。どっちも根本的に理解し合えないんだよなー。
・ワシが死んだら一緒に焼いてくれるならともかく娘の側から言うセリフか?嘘くせえ。あとリンク先でも言及されてる大昭和製紙の社長のエピソード漫画になってるのか。買おうかな
・#5 価値の違いを考慮するのかと、亡くなった人のものがどうなるのかなと。同居してる人が居ても取り上げるのかね。貸与は個人に対してか家に対してなのかとか、バイオリンは個人の所有物っぽいけど、家や車なんかは家族が死ぬと取り上げられたりするんかね?
・娘がまともで親父が俗に見えた。あちらのコメントも親父側の価値観ばかりでうんざりした。
・#4,6 無知と言う意味では娘の方だろ。少なくとも売れば金になるとの知識はなかったみたいだし。知識を得た後では合理的な申し出ではなかったと気づいたみたいだし。
・価値と価値観は非相関である。
・#10 そんな知識は普通に生きてる人間には余計な物でしかないんだよ。芸術に生きてると、自分たちの関係物には大きな価値があると扱われてるけど、芸術の世界外れた人間からしたら無価値なんだよ。
・#12 娘さんも価値を見出したってオチじゃん。少なくともこの逸話は貴方の主張を補強するものには思えないが。
・#9 娘はともかく、親父が俗だと思ったのはなぜ?
・#13 単にそんな大金の物なら処分はまずいな、となっただけ。金に価値は見出しても芸術や楽器の背景に価値は見出してないんだが。父親が芸術家でなければ一生触れることのなかった価値観だしね
・#8 「共産主義だと」(高い価値のある楽器は最初から)まず個人所有でき図、貸与されてる(ので、対象者が亡くなったら返還の義務がある)んじゃないかな、というつもりでした
・#16 批難したつもりはなかったんで、謝らせて申し訳無い。4人用の住宅に住んでて一人亡くなったら3人用に引っ越したりする必要があるのかと疑問に思ったもので。子供が生まれて大きな家にみたいなのは前向きだけど、ちょっと悲しいかなと。それが当然な世の中になるって事なんだろうけど。
・#15 価値は金で繋がっていたとの話。大金の物になるのは貴方の理解出来ない芸術に価値を見出す人が居るせい。その価値を否定するなら父親もろとも焼いてしまえよって話だろ。
・単品レアアイテムだと、芸術性とか文化への敬意とか未来への継承とかのノイズで問題が複雑化するので、こっち http://gnews.x0.com/20170411_210358/ のがわかりやすい。
・#19 逆にこんなのもあるぞ。http://gnews.x0.com/20170418_213530/ 当人は完全に燃えて無くなって欲しかったんだろ。http://gnews.x0.com/20170421_185307/ 親に理解があるとこうなる。オタクの人はコレクションをどうしたいのか遺言を書いておくべき。むしろこっちの方がアンビバレントで複雑に思うが。
・アホくさ。何選ぼうが好きにさせろ
・齊藤了英の話かと
・こういう自論ありきでむりくり作った(大抵知人からの伝聞形式)エピソード出してくるのって嘘松に通じるものがあるよね。
・#23 告げ口のつもりなんだか嘘だから取り合う必要はないとの共感を得たいんだか知らないけど、これは事実だろうが無理くりだろうが持論を説明するのに分かりやす様に出した例だろ。言いたいのは持論だとは皆分かってるよ。
・#24 分かってもらうためならこれは想定例だがって言うのがフェアやろ。出来の悪い嘘松エピで釣ったところで結局リンク先やここのコメ欄みたく親父が悪いだの娘が悪いだのそもそもそんな奴いねーよみたいな話になるだけで。
・#25 嘘かどうかも分からないのに非難している貴方が言うのは筋違い。
・#26 その理屈なら本当かどうかもわからないのに擁護してる自分自身も筋違いになっちゃうよねー
・#27 等価ではないんだよ。書いてある事を前提に話すのは別に構わないが、嘘だと言うならそれを示さないと。そもそもこの出来事があったかどうかで議論が変わるとは思えないんだが。
・この人の主張が尤もだと思うかどうかと、この話が事実かどうかはベクトルが違う。この例えで充分主張は通じる訳で、その場合は作り話だろうが意義はある。他の人はそんなベクトルの話をしていない訳だから嘘か本当かの話をしたいなら、嘘だと思った理由を挙げる必要があるってだけ。他の人は本当だと主張している訳ではない。
・嘘だと言うならそれを示さないと(←悪魔の証明)。書いてある事を前提に話すのは別に構わない(←単なる個人的主観)。この例えで充分主張は通じる(←例えでなく事実として提示されており結果主張への信憑性を欠く)。事実かどうかはベクトルが違う(←その割にやけに真偽に拘るなコイツ笑)
・#30 俺は真偽に拘ってないだろ。どこを見てそう思ったんだよ。嘘だと思う根拠があるはずなんだから悪魔の証明は嘘だと示さない方だよ。反論出来ないだろ。
・信憑性とは無関係なんだよ。「こんな事があったんだからこうなるはず」との話ではなくて、貴方が単なる例え話に「そんなの実際に起きて無いじゃん!」と反論したつもりになってるだけ。
・書いてある事を前提に話してはいけないとか言ったら一体ここで何を話すんだよ。真偽についてだけなのか?
・#31 全然反論できるというか勘違いを正してあげるけど悪魔の証明って「悪魔がいないこと」の証明だからこの場合嘘松を嘘だと証明する方だから。というかアナタが今「とある知己の音楽家の方」の実名でもサクッと聞いて来れば真偽はともかく「悪魔の存在」自体は即示せるんだけどね。まぁしない(できない)んだろうけど。それまでは明らかに嘘松案件だよねこれ笑。
・嘘だと思うなら、この記事に関わらなきゃ良いのに。こんなところで嘘だとか主張しても何も変わらんよ。
・「こんなところで」3連投まで使って熱く「主張」してた人が、苦しくなると「関わるな」とか「何も変わらん」とかジョークのセンスあるよね笑
・IDの違いさえ見えないくらい興奮してるようだけど、落ち着け。
・三連投は俺じゃね?
・#34 え?「嘘松」ってのがこの記事で、「嘘だ」と言ってるのは貴方だろ?
・似たようなのがいたので同一人物かと思っちゃったわ。 #39 そうだけど? この場合音楽家が悪魔でしょ。
・#40 個人で「本当か嘘か」をこだわりたいならその音楽家でも特定してみたらいいんじゃね?//このニュースの話題としてはそんなところとは全く関係のないところにあるから多くの人には「本当か嘘か」については興味のないことなわけだけど。
・#40 で、「嘘だと言うならそれを示さないと」の何が問題だと?攻守を入れ替えようとの戦術かなんかかね。
・自ニュも違うけど、箱、項、票のシステムはコメントが多い時ほど便利だと再認識。嘘だと思い込んだ人はその項で、真偽では無く「お話」についてコメントしたいなら別の項。
・#41 拘ってるのは俺じゃないけどね。俺は嘘松臭い稚拙な創作ネタを元に議論することの滑稽さを言っただけで。ネタの真偽はどうでもいいだろ主張が大事なんだと言いつつこちらには嘘と決めつけるな、などと矛盾したことを言い出した輩がいたので。
・この音楽家の人が、己の死期を悟ったときに、自分で信頼できる後継者にバイオリンを譲り渡すのが一番なんじゃないの、これ
・あと元の話が嘘かホントかでもりあがってるようだけど、そんなの関係なく、一つの例題として議論膨らませば思考実験としては十分なのでは? 真実か否かはどーでもいい気がするわ
・嘘松臭い稚拙な創作ネタを元に議論することの滑稽さを言っただけ<オレもそうだった。反抗期過ぎて気にならなくなった。
・言われてみれば、俺もそういう時期はあった。結局、いろいろな想定でいろいろな思考をめぐらすのはそんなこだわりに固執するよりも楽しいことだと知った。
・確かにこういう作りの甘い嘘松で「ナルホド!ええこと言うわ!!」って議論ごっこしちゃう痛々しい若さは無くしたな笑。いい年こいてそこに無自覚な奴への反抗期は続いてるけど笑
・「作りの甘い嘘松」と判断してしまう所がまだまだ若いぞ。判断できない真偽はともかく「お話」をネタに話できるくらいに成長しないと。
・楽器の価値もわからない音楽家の娘()とかアスペみたく怒りだす父親()とか嘘松乙~的な盛り上げはまだわかる。が、そこからモノの価値とは~みたいのはTwitterキッズ内で駄サイクルしててくれればいいわけで、そこに咬めば何か成長できんのかネタに転化できるのかと言われるとまぁないよね。
・本当である方に賭けると嘘と確定したときに恥ずかしい思いをするが、嘘である方に賭ければだいたい無限に疑い続けることができるので安心。これをパスカルの賭けという
・物の価値観の違いによる悲劇の例は数多有るからなあ。最近日本で多いのはオーディオブームの頃の人がそろそろ鬼籍に入り、その装置を残された家族がどうして良いか困ってるって話も良く聞く。WEでも知らない人達にはゴミだから。後蔵書。
・嘘松て何ぞ?とぐぐっちまった。
・件のケースで言うなら娘に音楽経験や楽器関連の知識があるかどうかは親であれば察しがつくだろう。金額はモノの価値を明確にするのはその通りだろうが、音楽家の娘からしたら「最初から値段を言え。自分が知ってるからって偉そうにするな」と言いたくなる所であろう。要するに終活はキチンとしようって事だ
・継承が〜とかそれらしい事を並べ立ててはいるが所詮は「こだわり」でしかない。自分のこだわりに従って欲しいなら相手に理解を求めるのは道理と言うものだろう。価値を論じるのも娘の無知さを嘆くのも筋違いだ。自分のこだわりを相手が気にしてくれると思うのは思い上がりである
・個人のコダワリの範疇なだけならそうだけど、その道なり業界なりで支持される志向なら、その集団では単なるコダワリではなく規範とも言えると思うのね。娘への伝え方や教育についてもあーだこーだあるけど、個人レベルではなく継承とか文化という視点もあってもいいのでは。
・by http://gnews.x0.com/visitor=duvpml
・自分にとって都合の悪い話題を嘘松に押し込む風潮の方がキモく感じる。証拠があるならともかく。
・「3.11の震災の時はまだスマホ普及してなかったので作り話」とか「いまどき路上喫煙者なんかまず見ないので作り話」とかいう、部屋の外に出たことあるのか心配になるような創作認定士をちょくちょく見かけるので、嘘松っていう言葉使ってるのを見た時点でこいつもそういう奴かなと想像する