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車で300キロ D51到着…真岡市
http://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/news/20150917-OYTNT50419.html
2015-09-18 10:56:05
>運ばれたD51―146号は1938年(昭和13年)製造で、75年の引退後は静岡市が所有していた。老朽化により撤去が決まったものの、保存を求める市民の声に応え、真岡市に譲渡されることになった。
>トレーラー3台で行われた陸送は、1台あたりの重量が30トン前後で低速走行になることから、交通渋滞を起こさないよう、静岡市葵区の城北公園を15日深夜に出発し、総延長約300キロを夜間のみ走った。真岡市は輸送費や整備費などに約2800万円を支払う。
戦前は樺太や東南アジア方面にもSLを持っていって乗り回していた日本人は凄いなあと思います。
・帝国陸軍の中戦車が他国の軽戦車なみのスペックなのは輸送力、特に海上輸送に問題があったからといわれている。・#1 それは戦地まで陸続きだったからだろうね。北アフリカ戦線なんかはやっぱりシャーマンとかⅣ号戦車程度の中戦車だし事情としては仕方ない。とはいえ海上輸送の軽視は酷かったけど・北アフリカでシャーマンとかⅣ号戦車だったのは単にそれ以上大きい実用戦車が無かっただけで、最後にはティーガーも上陸させてるんですが・「シャーマン(30t)とかⅣ号戦車(25t)程度の中戦車」と随分大雑把に並べるけど、97式は13tしかない。それと米軍の戦地は全て海の向こうだよ。独軍も極少数だが海を越えてチュニジアにティガーⅠを投入している。・いや、もうこの通りなんじゃないの>日本は島国と言う関係上、どうしても戦車を海上輸送する必要が有り、20tを超える輸送船は数が少なくほとんどが海軍の船舶だった。その為、陸軍では「九九式三舟重門」で輸送できる上限17tの戦車しか運用できず、一式中戦車「チヘ」の17.2tまでしか運用されていないのが現実である。http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14110927909・否定されると困るなあと。日本の中戦車のカテゴリーが外国より小さいっていうのもあるけど、本土用の四式中戦車なんかはそれなりのサイズ・#6 何を否定しているのかわからない。自分は戦前の日本の海上輸送は貧弱だと言いたいから、君が#5に書いているままなんだが。四式は本土決戦用と割り切って、海外輸送を考えていなかったからだね。重い戦車というだけなら重量100t車やオイ車があるし、前者は一応自走までしている。・それと海の向こうだからは自分の#4や#3も書いているように、米独、英も大重量戦車を海上輸送しているよ。・#7 ごめん、自分も何が言いたいのか分からなくなってきた。あえて言ったら海外に持っていったのだけが軽戦車レベルで、ちゃんとした中戦車もあったよ(というのが#1からは読み取れないよ)という点がひっかかったのかな。・#7をきちんと読んでくれたのか?日本の中戦車が他国より軽いのは、戦前の日本の海上輸送力は低かったんだけどねと言っているだけだよ。つまり君の#0のコメント「凄いなあと思います」に「そんなことは無いでしょ」と言いたいだけ。・そういう意味では#0は否定しているかな。・しかしそういう貧弱なインフラでSLを海上輸送したというのはやはり頑張ったんだなと思う・#10 なるほど、誤解?の原因がわかった。「ある程度インフラが整った現代でもこんなに大変なのに、それと比較しても当時の日本人は凄いな」というのが#0のコメントの論旨で、ドイツやアメリカより日本のほうが凄いという意図ではないですよ by#0・平時輸送で緊急性が無いのなら、分解して分割輸送する手段が使えるからね。現代の今回の例もその方法だね。・そうすでね、全然凄くないですね。以上終わりで。・もう少し落ち着いて締めろや。・有事に戦車が走れるような規格の国道があるという都市伝説。敦賀への道はそうかなと感じたもの・戦車は道がなくても走れるよ!・てか、橋の基準とかはそれだろ?戦車が渡って大丈夫な強度が求められる。あと電車で運べるようにとか