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天皇陛下のご感想(新年に当たり)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html
2015-01-01 16:33:16
>本年は終戦から70年という節目の年に当たります。(略)
>この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
・戦争は勝たなきゃ駄目だ。一度でも敗けたが最後、相手の戦争犯罪は無視され、こちらはやってもいない戦争犯罪まで押し付けられ、戦火を交えてすらいない国や存在しなかった国にまで賠償金を要求され、戦後70年経っても同盟国になっても侮辱的なプロパガンダを世界中に流布される。例えどんな汚い手を使ってでも、何が何でも絶対に勝たなきゃ駄目だ。・そう露悪的に気張らなくても、「戦争しない、平和が一番」でいいんじゃねーの新年なんだし リアリストのつもりでも、端から見ると好戦的なバカだと誤解されるぞ。あけましておめでとう・#1 さあ、Hearts of Ironを始める時が来た!意趣晴らしをするのじゃ!今ならsteamで50%OFF!・なんで「、」(てん)じゃなくて「,」(カンマ)なんだろう。・#4 それは、すぐにがっテンすることなく、ちゃんと行カンマで読みましょうという、陛下の深い配慮の賜物なのですよ…・#2 戦争ならもう始まってるし、終わってすら居ない。平和なんてない。ただ戦線の後方であると言うだけだ。見えないから戦争はないというのは頭が緩いと言われるわけだが。サヨクはじめアカはまさしくこれだ。・↑荒川茂樹!?・#6 しかし、日本人は憲法9条を受け入れ、戦争から目をそらし続けたのでな。マスコミに騙されたという問題じゃなく、そんな幻想を受け入れるマイナス面が日本人にはあるんだろうよ。・現在の年号が発表された時、(激動の昭和とは違って)平和で静かな世の到来を願っているのか、と思ったものだ。名前負けじゃないけど、実際はそんなに都合良く運ばないんじゃないかと思わずには居られなかった。・『平和』を単に戦火の空白期間と定義するならば、確かに今の日本は平和なんだろうな。・ネタでなく、暗闘に変わっただけで情報戦や広報戦は二次大戦の頃より遙かに激烈さを増してるわけで、それに有効な手を打たない日本政府に嘆息しか出んわ。・#11 後半は同意だが、暗闘に変わっただけでも大きな進歩。民間人が大規模に死なない「だけ」でも熱い戦争より冷戦の方が何万倍もマシ。・#12 まだ死んでいないというだけだろ。現状を放置してチベットの様になるのは御免だね。そもそも現時点で民間人が大規模に死んでいないという一点を以て、抑圧や隷属を例え僅かでも是認する様な主張には賛同できないな。・この世に平和なんかないから、戦争で実際に殺し合ってるほうが誠実、かも知れないが、殺し合いを前提にしてる時点で既におかしいだろ。誠実さは殺し合い以外の方法で実現したほうがいい。数兆倍マシ。・#14 一番確実なのは、にらみ合いで膠着状況を意図して創出すること。戦力的に拮抗させて、始めたら確実に終わりが見えると思わせること。この点で核兵器は優れた拮抗システムだと思う。それが日本の手にないのが最大の問題なわけで。潜水艦に積んで近海の深いところに潜ませておくのが独立国家の姿。・#14 教条主義的な思考停止に陥ってるのか単なる奴隷根性なのか知らないが、誰もがそう考えるのであれば世界中の誰も命がけの独立運動などしない。そういう綺麗事は侵略している側に言うべきで、現状で日本は侵略されている側だ。・#14 戦争や虐殺に背を向けて引きこもってる時点で、誠実もクソもあるか。日本の平和なんて被害にあってる弱者を全部無視し、建て前の平和の中に閉じこもる事だろ、むしろ誠実なんて邪魔。・#16#17 そう、国内の九条教の連中は、国外の侵略や略奪については完全に知らん振りって所で誠実どころの話じゃない、完全に二枚舌の連中。てか国内の侵略も知らん振りだけど・局所的平和は恒久平和じゃないから全面戦争しよう、とも読めるな。・#19 恒久平和なんて不可能だから局所的平和を享受しよう、ってのが現実。恒久平和なんて実現しようとしたら、それこそ侵略と虐殺に明け暮れることになる。・ああ、日本の場合は局所平和すら真面目に得ようとはせず題目を唱えて現実から目を背けてるだけなんだけどな。・戦前戦中→大和魂で勝てる! 戦後→憲法9条があれば平和が保てる!・#22 多分、日本人の問題ってそういう事なんだろうね。どっちにしろ偏りっぱなし、精神論やお題目大好きみたいな。・そういうことかもしれないが、戦後はより悪化してる。戦後憲法は押しつけられた物であって自分で作った物ですらない。・#24 石原慎太郎等が独自憲法に拘りを見せるが、役に立つ憲法かどうかという議論とは本質的に無関係。#23が言うように、極端に走るところが日本人の国民性であり恐ろしがられるところ。憲法での軍事力放棄を提案してマッカーサーを驚かせたりしたが、結果として経済成長路線を実現し、米国から再軍備を求められるという構図も作り出すのに成功した。・#25 それであれば尚のこと、時代の流れに合わせて憲法も変えていくべきだ。敗戦で押しつけられたが故に「変える」ことすらできないのでは話にならない。軍事情勢も当時とは異なるし国際常識も変化しているわけで。とりわけ支那の拡大路線で軍事的脅威は増大している。・#26 そういう議論なら説得力もあるが、「押しつけられたから」を前面に出している限り、単なる右翼と同列に見られるということ。・多くの国民が関わることがなかったという意味では戦前も戦後の憲法もかわりない・平和憲法に関しては押し付けられたか否かなんて問題じゃなく、世界から戦争がなくなろうとした事すら無いのに受け入れた事自体が問題、この一点だけで日本人は他所の国を馬鹿には出来ない、一番愚かな事してるんだから。・憲法を変えるのは通常、政変時なので、一般国民が関わることができるというのは希有だろう。だが敢えて関わりたいということなら平時である今が議論のし時かも知れない。・憲法に一般国民が関わらなければならないなんて言う発想がナンセンスだ。議員制を取ってる以上あり得ない。そもそも一般国民なんて概念は近世以降の物でそれが政治に関与した例なんて暴動以外では皆無だ。・#31 民主主義の意味、分かってるか?議員はあくまで表を入れた民衆の代理なんだが。・#32 知ってるよ。議員制である以上「間接」に関与しているのは自明。#28の言い方が「直接」関与すべきと取れたのでね。他意はないよ。・#31 平和時は凍結されているとはいえ憲法の根本にある憲法制定権力を保持しているのは国民・#34 だからさ、その概念は戦後憲法の「押しつけ」によって出てきた物で、自国民の身についた概念とは全く異なる思想による物だ。近世の明治憲法以降の発想からしても一般国民が「参加しなければならない」と言う義務概念は身についてない。選挙ですら若い世代は参加意識が低いんだから。・#35 憲法は国民が国家に対して発するものだから、本来なら国民が当事者意識を持たないといけないんだけどね・うむ。「我々はこうあろうと思う、その仮託としての国家は、こうあるべきで、これをしちゃダメ」と国民が国家に命令するのが憲法なんだけど、日本を含めたアジア圏の市民は、そういう政治観が伝統的に持てない。自分が最強の主権者で、政治主体そのもので、その全責任を負う、という考え方ができない。君子を待望してしまう。・そういう意味で、「政治的には何も行なわない君子=天皇制」を制度として組み込んでる日本国憲法は、アメリカの押し付けだったかも知れないけれど、我々にとって幸いだったと私は思う。政治的に未熟なはずの日本国民を、欧米諸国と渡り合えるようにしてくれた。・我々が憲法によって国民の象徴としている天皇は、国際的に協調して、役割を果たし、平和を希求しろよと訴える、権威あるシャーマンの家系にあって、これを象徴として掲げることを国民が卒業できるなら、それほどまでに市民が成熟するのであれば、そりゃ天皇家にとって本望ですらあろう。・#39 そこまで至れるならな。多くの欧米諸国にあっては伴天連の教義で禁じているにもかかわらず「偶像崇拝」を行っている。日本に於いてことさらそれを野蛮だの原始的だのと誹りを受ける筋合いがないにも関わらす毛唐共ががたがた言うのが気に食わんがね。・無論、集団的自衛、というのも平和への希求のひとつのあり方だと思うし、そこらへんはちゃんと喧々囂々、議論すればよいと思う。原理主義的な責任逃れが一番よくない。サヨク的お花畑と、ネトウヨ的露悪趣味の間の、キツいところを歩むのが市民の義務だと思う。