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「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080217-00000913-san-soci
2008-02-17 19:27:50
みんな自分より下を見つけてレッテル張りがしたいだけなんじゃ
・見てないがどうせ産経だろとエスパー・エスパーすげえええ・まあなんちゅうか若者の夢を叩き潰して平気な顔で偉ぶってるおっさんが多いからね・未来が無いから夢も自信も持てないわな。ゆとり教育のせいってだけじゃないだろ。・「どうせ次は少年院だから」って奴もいたね。・二次方程式解けない大学生が7割って・・・・#2 簡単に事前に確認できてしまう&コメントから記事を貶めたい意思を感じる ので信憑性が薄い。・参考にどうぞhttp://www.asahi.com/kansai/news/OSK200802150093.html http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20080127・橋下はバカ・↑データで示してください。・「ゆとり教育」は「英才教育」とセット(教育資源の集中)だったはずだが、後者の効果はどうだったんだろうなあ。・小学生で英語は早い。あんま意味ない。教師も今までやったことないから適当になる。そんな中途半端なことやるぐらいなら他にやることあるだろ。と思います。・ゆとり教育で得したのは塾だけ。だったら思い切ってエリート教育の部分を民間に任せれば良かったものの、文科省にそんな真似速攻でできる訳もなし。準備不足の大プロジェクトにろくな物は無い。・英語なんかどうでもいいから国語で説明、描写、報告、記録のやり方や論文の書き方、プレゼンのやり方、議論と討論の仕方を教えてやってくれ。新人教育期間のほとんどをこういうのに費やすために全然技術が教えられん・義務教育に何を言ってんだこいつ・・・んなこた高校でやれよ・義務教育でもグループワークを増やしたほうがいいようなことは昔から言われてるね。・日本人は論理力に優れてるんだけど理解力と表現力が乏しくて、異なる意見を受け入れたり集団の中でオピニオンをまとめるのが苦手。 という分析は結構的を射てるんじゃないかな。・高校まででグループワークなんてイベントレベルで日常的にやるってもんじゃなかったなあ。仕事って多かれ少なかれグループワークだから、グループワーク増やすべきなのかも知らん。・グループワークって「はい、好きな人同士で班組んで~」ってアレ?ブルブル・( ´-`)つ#19・>#14 論文・プレゼン・ディベートは高校とか大学からでいいと思うけど、その前のは確かにもっと国語でやったほうがいいと俺も思う、作文のついでの指導じゃなくて・部活動とかバイトで体験するものじゃないかな。・私立だったからかもしれんが、絵を見て書かれているものを描写する、地図を見て道順を説明する、授業内容をノートにまとめるなんてのは中学校でやったよ。ノートの取り方を教えてもらったのは実に役に立ったな。・老いた老人には間違いを認める勇気は無く安いメンツとプライドしか残ってないんだな・ディベートだけはもうちょっとやってもいいよな。中学から。匿名掲示板でアニメや漫画のスレッド見てても、作品批判・反論・再反論みたいなことが感情抜きに出来てることが滅多にない。・#25ディベートの練習なんて価値無いよ。あれはただ討論に勝つためだけのものであり、建設的である必要も無いし論理的である必要も無い。そういうもの。・だよね。ディベートの講義とか受けたことないのかな。あれはどちらが正しいとか関係なくあちら側、こちら側について弁護する、という性質のものだから余計に殺伐とするだろうね。価値がないとは言わないが、持論を勝利に導くためには何でもやるというそれだけのもの。・#26に同意。あれを下手に覚えるとかえって話し合いがこじれる。 出来るだけ年齢差を越えた交流とかきちんと叱ってくれる人が必要なんじゃなかろか。・双方が論理的で、論理的かつ公正なジャッジ(教師)がいれば教育ディベートにも価値があるが、大抵いずれかもしくは全員が非論理的でグダグダになる。・ウェブは裁定者いないからな。双方がそれを理解していればいいんだけど、一方、もしくは両者が相手を屈服させようとするとカオスに。・自分の考えを納得させるという本来の目的からズレて、自論を押し通しがちになってしまうんだよね。 ディベートで発言力を磨くのも大事だけど、同時に理解力と批判力をつけることも重要かな。・ディベートがそういう物だって言うのはわかってる。ちょっとそういうのを身に着けて欲しいのよ。見てもらわないとわからないかもだが、今の匿名掲示板のオタクの議論てものすごくナイーブなんだよね。ある作品についての賛否両論喧々諤々の議論、なんか全く見当たらない。みんなで「面白かったねー」「萌えー」みたいな、脳に優しい感想を共鳴させてるだけ。・なんでそうなるかって、もう少し頭使ってそうなこと書き込む人間がいると排除に動くわけよ。「これこれだから最近の構成はおかしい」という批判でも、「今日の作画こうだったね」という分析でも、そういうのに対して「反対」とか「反論」とかじゃなく、感情的な噛み付きが飛ぶ。特に批判は些細でも許さず「黙れアンチ!」となる。・甚だしくは一つの作品に予め「ファンスレ」「アンチスレ」と二つスレッドが用意されてて、前者では褒め称える意見しか書き込めず、後者では貶したり叩いたりする意見以外はダメ。 つまり、意見の差異とか対立を非常に恐れてる。自分と違う意見は自分への攻撃かのように反応してるんだ。人格や感情と切り離して意見を対立させるってことに全く慣れてない。・#32 それは単にゆるい連中がスクラムを組んでるだけなんじゃないの。そこは議論するに適した場所じゃないって、それだけのことだろうさ・議論がキチンと出来ないのは意見の言い方(発信)よりも人の話をちゃんと受け止める(受信)の方に問題があるんじゃないかと思う。・西洋人から見ると日本人は感情的で感傷的らしい。批判や議論と人格批判の境目がわかっていないってね。でも、根回しや人間関係とは(ある程度)無縁なネットでのやりとりに慣れていけば、少しは変わってくるかもね。・「ファンスレ」「アンチスレ」が形成される時点で、周りと違うことを極度に畏れ同意見の持ち主で群れる日本人の国民性がネット上にも出てる。・#37 西洋人とかそんな大雑把な。ラテンも、スラブも、ゲルマンもかよ。てか誰の意見?・うるせーよー・匿名で議論が成り立つと思ってる奴がいることにビックりだよ・成り立つよ。参加者双方が理性的かつフェアーであればね。・ネットでの議論って要は娯楽の一種。ダラダラ楽しんでるところに、自分と違う人が来たら、それは排除するんじゃない?・このくらいコメントが並んでいるところに、「違う人」は来ないよ。過去のコメント読むのが面倒だから。という意味ではまぁ「排除」かなぁ・>#43 英語圏のフォーラムを見るといい。意見対立や無視はしても排除まではしない。・日本の場合は匿名の方が遙かに議論が成り立つ。身元が知れると誰も攻撃的かつ建設的な意見を出さないから。mixiが典型。・どうしても意見の衝突を人格の衝突と捉えるんだよな日本人は。・根に持つタイプもいるしね。特定ハンドルを使っていたら「あなたは○年前に××と言った△△さんですね」とか言われる(言われた)し。匿名だと、その場の議論で根に持たれることない